手談
手談とは碁の別名であります。中国の「世説」という古書に「王中郎は囲碁を以って坐隠と為
し、支道林は囲碁を以って手談と為す」ということが載せられております。手談とはここから出
たものと思われます。
事実、我々は碁を打って思考に耽っているうちは無我の三味境に逍遙して暑さも何も忘れてし
まう。という意味から、碁のことを消夏手談ともいいます。
手談とはまことに味のある面白い言葉で、さすがに中国は文字の国だと感じさせます。
私は過去の体験において未知の人と一局の碁を打って肝胆相照らす百年の知巳を得ることがし
ばしばあります。これは無心に一局の碁を打っている間に、自己の性格の長短が天衣無縫のまま
にさらけ出され、碁盤を通じて相手の心の琴線に触れるからでこれは碁の徳であります。
私の知人に著名な実業家がおりますが、その人が政界に打って出て代議士に当選しましたが、
所属のクラブに行っても陣笠として誰れも目をかけてくれない。その人は頭もよく政治にも相当
の抱負を持っているけれども、皆と懇意にならなければそれを認識させることができない。そこで
仲間を宴会に招待したりして、いろいろ外交政策を試みるけれども、なかなかに親しくなれな
い。そのうち或る日所属のクラブに行って見ると皆が寄って賑やかに碁を打っている。その人は
素人五段で碁の方でも相当打てる人だから、碁の仲間入りをして二三局打ったらたちまちに皆と
親しくなって、それからは自己の意見を認められるようになり、間もなくそのクラブの幹部の一
人に推薦された。全く碁の徳であるという話を聞いたことがあります。
明治維新の元勲である大久保利通公は若かりし頃大志を抱いていたが、地位が低いために薩摩
の殿様に接近することができない。そこで殿様が碁がお好きなのを機として、まず碁を覚えて殿
様に近付く機会を作り、おいおいと大器を認められて維新の大業を達成したことは有名な話であ
ります。
これ等は碁を活用した点において功利的な面もありますが、それとは別に何の求むる処なく、
碁を打って無我の境地に入って楽しむ、この境地は精神の慰楽として何物にも替えがたいことは
碁を愛好する人の等しく抱持する心境であり、ここに碁が健全娯楽としての価値があるといえま
しよう。
日本棋院の総裁津島寿一氏は素人五段でありますが、先年政府の命を受けて外債処理委員長と
して訪米の際、私共は壮行会を開いて公務の余暇碁の普及をもお願いしました。総裁も好きな道
とて心よく引受けられました。そして、訪米の途中布哇(ハワイ)に立寄られました。布哇棋院の連中は喜
んで一夕の歓迎会を催しました。滞在は僅か一日半しかないが、総裁は忙がしい中を差繰って御
出席になり、布哇棋院の技量を御覧になって、布哇(ハワイ)の段位のレベルは高いから有段者は一段ずつ
昇段させるのが妥当であるというので、有段者は全部それぞれ一段ずつ昇級して大喜びでした。
私は昭和二十五年の夏布哇に囲碁普及のためまいりましたが、帰国に際して四段一人三段三人
二段二人初段五人合計十一人の入昇段者を推薦して帰りましたが、内地の有段者より幾分高い処
に置いたつもりでした。布哇(ハワイ)という処は狭い処だけに段位の統制がよく取れていて、毎年春秋二
期に催される全島大寄せ囲碁大会において優勝しなけれぼ昇級はできない制度になっており、
観光団が日本に来て棋士の推薦で段をもらって帰っても、その段は布哇棋院では認めないという
ほど厳格な観定が作られているので、日本でもらって来た段は帰国しても公然と発表ができない
ありさまです。そこへ行くと大都会となるほど段位の統制が保ちがたく東京にはいちばん強い初
段もいれば、また、いちばん弱い初段もいるといったあんばいで、いわゆる文明にはすべてのも
のに巾があるともいえましよう。
兎に角、津島総裁の計らいで有段者はもちろん、一級で初段になれないものが十人ぐらいいた
のが皆初段に進級したわけであるから、その喜びたるや推して知るべきであります。その中の一
人で布哇棋院の幹事を勤めている某氏は当時日本に来ていたが、私に電話で「留守中に初段にな
りました。」と喜びを表明してきたような次第で、津島さんはさすが政治家だと私は感じました。
これで布哇(ハワイ)の段も内地の段と釣合いがとれて、訪米の同好者が布哇(ハワイ)に立寄って伯仲の勝負が見られることと思います。
津島総裁はニユーヨークで米国囲碁協会から招かれて希望されて一場の碁の話を英語でされま
した。そしてそれがテープレコードにとられました。ところがその後またある米人の同好者に招
かれた時、同じく碁の話を希望されましたが、津島さんはその時は話をする用意がなかったの
で、またテープレコードにとられて前のと同じ話になってはと即座に一策を案じて、「碁のこと
を「手段」(スピーキソグ、バイ、ハンド)というから、今口は口頭で話すことはやめて手で話
してお相手をするから、我と思わん方々は私に手合いを申し出て下さい。といって切り抜けて
きた。と、これは津島さんの酒席における述懐談であります。
話が国外の碁に移りましたから、序でに中国の碁談をいたしましよう。
日本では碁を打つ人は趣味として榧(かや)の厚い盤に日向の本蛤の歩厚い石を揃えて、碁盤は拭いて
いつも鏡の如く石はキレイに磨かれて、その盤石の前に端然と座して「手談」の三昧境に入る、
まことに清爽の境地であり、これは日本人の一つの高尚なる趣味として尚ぶべきことであります
が、外国へ行くと全然趣味がちがってきます。
往年私が中国の国務総理の段祺瑞将軍に招かれて北京に二カ月間滞在していた時のことであり
ますが、段祺瑞の碁を打つ室にはテーブルの上に十九の線を引いた大きな碁盤の白布が拡げられ
て、碁石は一方が心もち高く一方は平面のものであります。それを布の碁盤の上に平面の方を下
にして置くのであります。碁盤も日本のものより二三寸巾が広く作られており、最初打つときの
調子が変であったが、二三日やっているうちに慣れてきました。この布の碁盤に薄い平面的な碁
石は、旅行などする時は布の碁盤は畳んでカバンの底に入れて行けるし、碁石も薄い平面でそん
なに場所と重量がかからぬから、携帯には至極便利であるし、汚れた時は碁盤の洗濯もできると
いったあんばいで、考えて見るとまことに実用的にできております。
面白いことは、碁石の面の高くなっている方を下に向けて置いている間はそのまま考えていて
もよいので、これでよいと決断がついた時、はじめて平面の方を下にひっくり返して、打ったぞ
と意志表示をすることです。私はそんなことは知らないから、一石打って相手の応手を待ってい
ると、いつまで経っても相手は知らぬ顔をしている。少し変だから私はここに打ちました、とい
うと、まだ石がさかさになっているから君が考え中だと思った、というような笑い話も生じてく
る次第で、処変れば品変るで国外に出るといろいろ変った現象が起きるのも一興であります。
北京の九月頃の気侯は実に何ともいえぬ爽やかな気分で、天高く馬肥える、という言葉は北京
の秋に遭遇してはじめて味える実感であります。爽やかな秋の日に中央公園の樹陰にテーブルを
据えて、その上に板の碁盤を載せて悠々と碁を楽しんでいる状景は、まことに大陸的で豊かな味
わいがあります。(昭和三十年八月)
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