先生が黒を持つようになる
今は故人になったが私の先輩であったI七段がある時私と酒を飲みながらの話である。
「瀬越君わしも某さんの稽古ももう暫くしたらやめなければならぬようになった」と真面目く
さっていうので、それはどういうわけかとたずねたところ、次のような話である。
某氏はいわゆる昔の大家の旦那さんで、なんにも仕事がなく碁が第一の趣味であり、またアマ
チュアとしてはなかなか強くもあった。特に詰碁にかけては暇にあかして考えるのだから随分難
解のものでも解けるし、また古人の詰碁の誤りを指摘して専門家をアッといわせることなどもあ
るぐらいである。ただ大家の旦那さんであるから外へ出て他流試合するのが嫌いであったから、
碁の先生を毎週呼んで稽古をするのが楽しみであった。そこでI七段が呼ばれて稽古に行ってい
たのである。
最初は三子から打ちはじめたが、稽古をしているうちに負かすと何となく御機嫌が悪くなって
きて、それも先生に向ってならよいけれども、奥さんや女中に向って、おい、こんなお茶を入れ
てきても飲めるかとか、この御菓子はまずくて喰えないとか、さんざんに周囲のものに当りちら
すので、先生の方でも気の毒になってツイ負けてやることにする。奥さんはとても先生に対して
よく気をつけて取り持ってくれるので、あんまり主人を負かしてくれるなといようにも考えられ
るので、まア打分けを打つとか一番ぐらい負け越しをして帰るようにする。すると半年ぐらい経
つと、旦那さんは勝敗録を示して、「先生これで私が四番勝越しとなりました」と報告する。
四番負越せば当然手合いを直さなければならぬので、半子を進めて二三子の手合に改める。そして
打っているうちに、負かすと空気が険悪になるのだから、いい加減にあしらっているうちに、ま
た半年ぐらい経つと先方が四番勝越しとなって、また半子進めることになる。こうして三年ばか
り行っているうちに、とうとう先相先に打ち込まれたので、「やア先相先に打ち込まれましたか
ら、今度は私の黒番になりました」といって黒を持とうとしたところが、「先生に黒を持たすこ
とはできない」といって、さすが自分が白は持たなかったけれども、この分でゆくと、そのうち
に互先になって、こちらが教えを受けなければならなくなるという話しである。
聞いて見るとなるほど御尤な話しで、先生が黒を持つようになっては教える資格がなくなるから
稽古をやめるよりほか仕方がないことになる。
実はこの話を書いたのは人ごとではないからである。自分の過去を顧みて思い当るフシがある
からである。私も若かりし頃は手合に精進して徹夜の碁を随分打ったものである。もっとも、昔
は今日とちがって、盤に向えば多くは打切ったものであるから自然徹夜になる。徹夜をしても勝
てばよいけれども、さんざんいじめられて負かされたときの気持ちは、なんでこんな碁打ちにな
ったかと思ったこともたびたびである。そういう時には、朝家に帰ってから、女房に向って頗る
御機嫌斜なりで、なぜ風呂を立てておかなかったとか、疲れて帰れば一杯飲んで休めるように準
備をしておくのはわかりきったことではないか、などと小言をいったことを思い出すからであ
る。
勝った時は愉快で、負けた時は腹が立つのは人間の感情として当り前であるが、論語にはこれ
を戒めて「怒りを遷さず、」と訓えている。聖人の教えはよくわかっていても、さて実行となる
となかなか難かしいことである。私もおいおい老年になるにしたがって、「六十にして耳順う、」
という言葉の意味がいくぶん解るような気持ちがしてきて、今なら手合に惨敗して帰ってきても
家内に当り散らすことはない境地に達したつもりであるが、もう手合を引退してしまったから、
心境の変化を家庭の者に示すわけにはゆかない。やはり、負けた時は御機嫌が悪かった昔の方が
懐かしい思いがする。
蘇東坡の詩の一節に、「勝てば固より欣然、敗も亦喜ぶ可し。」の句があるが、これは悟道に
徹した達人の境地であろうが、勝負を争う以上、勝って喜び負けて残念がることは、むしろ人間
の憾情の自然の発露ではあるまいか。
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