碁の妙味
昔から東洋の高尚な趣味として、琴、棋、書、画という言葉があります。このうちで、琴すな
わち音楽は知らず、棋と書と画は日華両国共通のものであり、古き東洋文化の遺産であります。
碁というものは一般の碁を知らぬ方は、規約が複雑で難かしくて入りがたいものだと考えてい
られる方が多いようでありますが、碁は決してそんなものではありません。碁は天地自然の法則
に従って造られたもので、規約としては僅かに二つか三つしかないものといってもよいのであり
ます。
碁の規約の主なるものをあげて見ますと、交互に一手ずつ打ち合うこと、これは競技である以
上当然のことであります。
縦横の線の交叉点に置くこと。それから地の多い方が勝つこと。それから眼が二つなければ活
きない。これは二手続けて打てない以上、二眼あれば活きるのは当然であります。
また、劫(こう)というものがありますが、これはお互に取ったり取られたりすれば、未来永
劫に尽きないから、それで他を一手打って然る後取り返すということも、常識的に自然落着く処
に解決した結果とも考えられます。
以上のほかは別に規約として見るべきものはほとんどなく、碁の難かしいのは規約ではなく
て、碁の技法や手段が難かしいので、千変万化、到底究め尽しきれない複雑なもので、これが碁
の面白い処であり、飽かないゆえんでもあります。
私は思いますのに文化も科学も知識も発達すればするほど碁がますます愛好されるのではない
かと思います。
碁はかように自然の法則に従って作られたもので、ほとんど人為的規約と見るべきものがない
のでありますから、社会万般の事に通じて、単に娯楽として楽しむばかりでなく、その人々の境
遇によって、これを工夫すれば娯楽のほかに大いに得る処があると思います。
軍略にも政治にも経済にも外交にも或は処世上にも、或は品性の陶治の上にも、それぞれ活用
ができるのではないかと思うのであります。私共は専門にやっていますから、むしろ技術の未端
に捉われてしまう傾きがありますが、これを趣味娯楽として、職業の余暇に楽しまれる方々は、
それこそこの道を楽しみながら、淫せず適度にやって更に自已の上に活用せられることができる
と思うのであります。そこに至ってはじめて碁を楽しむといってよいのであります。
伊藤博文公の五言絶句の結句に賢愚老二(下付)此中一(下付)とありますが、なかなか面白い字句であります。碁は打つ人の賢愚によって、悟りともなり、また害ともなり、健全なる慰薬ともなれば、消閑の
具ともなる。すなわち賢愚この中に老ゆであります。
碁は十九道三百六一路その数と形は定まっており、方二尺に足らぬ狭い盤面でありますが、
その変化は無窮無限で、考えるほど難かしく、その手が究め難いのに驚嘆させられます。
対局中の心得はいつでも一番良い手、すなわち最善を求むる心構えが崩れずに一局を打ち
終るのが理想であります。
どんなわかりきった処でもよく考えると、きっとそこに二つ以上の打ち方があるものです。
そのいずれを選んでも、それから後は全く形のちがった碁になるのですから、その撰択に迷う
のも無理はありません。
丁度山登りのようなものです。また各自生涯の生活に喩えてもよいかと思われます。行き着く
処は頂上であっても、兎に角その道中の風景がちがいます。
最善を求むる態度には、みじんも欲があってはなりません
。なおその上自他の念を去って、局前人無く局上石無しの境地に入って、はじめて最善の手段が得られるのです。この境地に遊ばれ
る人は巧拙に拘わらず精進を楽しむといえます。
碁が強くなるのはもとより結構ですが、むしろ碁道の幽玄を味って頂きたいことを私は希望し
ます。
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