門風

  徳川時代の碩学荻生狙徠は、ある熱心な就学の士に送った書簡の中で、その心得の神髄として 「朋友に交り門風に染み侯事、是第一の事に候」と述べているが、碁の修業にあてはめても真 理である。

 たとえば、わたしの門下は橋本字太郎君にしても呉清源君にしても対局時問をあまり消費しな い。ところが木谷八段は中盤までに持時問の殆んどを消費して、その後を一分碁のすご味で知ら れているように、随分対局に時間を使う。これは同八段の師の鈴木為次郎八段の芸風で、充分時 間をかけて名局を残すのが碁客の生命であるという鈴木門風の現われである。

 この門風は人の性質に千差万別があるようにいろいろあり、そのどれがよくそのどれが悪いと 断定することはできない。

 私は囲碁の世界普及を希望している関係上、対局は一日打切りでなければ他の技能試合に比べ て調和していないと思い、努めて早くよい碁を打つようにと考えているので、これが門風の一端 となって私の一門は大低碁が早いようである

 師の性質が知らず知らずの間に門下の若い人に影響を与えて日ごろの言動となり、理想の言辞 に深浅の差こそあれ門下生によって再現されるのは当然であって、これは碁だけでなく、各種の 芸術科学の方面でも見受けられることであるが、全く人を教えることの重責なることを私も年と 共にしみじみと考えさせられる。

 相撲界の大力士常陸山はその立上りにおいて相手の声に応じて必ず立ったといわれており、ま た囲碁界においても幕未の巨匠第十四世本因坊秀和は、ある時弟子の問に答えて「自分の技量は なにも君達と異るところはないが、ただ毎局形を変えて打つところが異るだけである」と方円新 報に誌しているが、全く名人の至言ではたしてこれを実行に移し得る棋士は何人あったろうか。

 芸がこの域に達している上に、人となりにおいても自然に感化を与える棋士を真の名人とする ならば、真の名人となるまた難いかなである。しかし、このような名人の門風下に修業し得るも のありとすれば幸福これに過ぎるものはあるまい。私もその門下にただちに馳せ参ずるであろ う。

 碁は勝負である。これが囲碁が持つ最大の興味であり特質であって、勝負を除いてはどこに囲 碁の生命があるかという人もあろう。一面真理でもある。対局に当って名局を残すことは理想で あるが、勝負はやはり現実の姿である。棋士に生れたことを幸福であると思っている棋士も多い が、有名な第十一世井上幻庵因碩はその著「囲碁妙伝」の自序で、「不幸にしてこの技を覚え」 と書いている。はげしい勝負の一面を物語っているものといえよう。

 ところが、アマチユアの碁客は実にこの点幸福である。勝負を争う人々ならその一団、碁を味 う同好者ならその一派で自由に相会して、それぞれの囲碁の妙味に没入し得るのである。これは 専門家の社会では到底許されない相談ではあるまいか。


編集室:
  世界の超特急と言われる曹薫ゲン九段のスピードは瀬越門の影響でしょうか、瀬越先生の棋譜を見てもらえば分かりますが、とにかく一段落の考えが徹底されていて、スピード感に溢れています。 是非、棋譜をご覧になって下さい。

 瀬越門系譜もご参考までに

   橋本字太郎九段−> 本田邦久九段、宮本直毅九段(−>牛之浜撮雄九段)、宮本義久九段、東野弘昭九段、南善巳九段、石井新蔵九段・・・
   呉清源九段−> 林海峰九段−> 張栩七段・・
   曹薫ゲン九段−> イ・チャンホ九段・・・
   松沢鶴次郎
   井上一郎−> 杉内雅男九段−>・・・
   久井敬史九段−> 谷村久仁子四段、田中智恵子三段・・・
   米山 徳
   伊予本桃市
   山田太喜三
   鈴木圭三(藤沢秀行、山部俊郎と三羽烏と言われた)−> ・・・
   上田一郎
   国崎節夫
   三王裕孝九段

゙ 薫鉉九段(Cho Hoon Hyun )の年譜 を入手しましたのでご覧下さい。

(Go'weekly ゙ 薫鉉 頂点への道 2002年5月27日 第2回より)
Go'weekly ゙ 薫鉉 頂点への道 第1回をお持ちの方がいましたら年譜情報を教えて下さい。      
年  代 履  歴
1972
(昭和47)
3月韓国へ帰国
7月瀬越憲作九段没
1973
(昭和48)
韓国棋院五段として再スタート
8月兵役に就く
28勝8敗
1974
(昭和49) 
1月最高位獲得、これが初タイトル。
六段に。
17勝13敗
1975
(昭和50)
45勝8敗で最多勝と最高勝率(8割4分9厘)。
国棋、最高位、最強者
1976
(昭和51)
除隊。23才。
40勝15敗1無勝負
王位、国手、国棋、最高位
1977
(昭和52)
七段に。
42勝7敗1無勝負
名人、王位、国手、国棋、覇王、最高位
1978
(昭和53)
25才
33勝8敗
5月藤沢秀行訪韓。
11月瀬越師の七回忌のため来日。
この年七冠王に。
名人、王位、国手、国棋、覇王、最高位、最強者
1979
(昭和54)
26才
48勝9敗
趙南哲に次ぐ二人目の八段に。
1980
(昭和55)
27才 鄭美和さんと結婚。
全タイトル制覇
名人、王位、国手、国棋、覇王、最高位、最強者、棋王、KBS杯
33勝8敗
1981
(昭和56)
八冠王。
35勝11敗1無勝負
1982
(昭和57)
韓国初の九段に。
九冠王。
40勝9敗。
1983
(昭和58)
30歳
七冠王。
33勝10敗。
1984
(昭和59)
李昌鎬(イ・チャンホ)内弟子に。
劉昌赫 入段
全タイトル制覇
十冠。
35勝7敗。
1985
(昭和60)
十冠。
41勝10敗。
1986
(昭和61)
十冠。
三度目の全タイトル制覇
李昌鎬(イ・チャンホ)入段(11歳)。
37勝8敗。
33歳
1987
(昭和62)
九冠。
48勝10敗。
1988
(昭和63)
八冠。
48勝12敗。
李昌鎬、覇王戦で゙に初挑戦。
1989
(平成元年)
聶衛平を3−2で破り応氏杯優勝。
10月文化勲章銀冠受賞
36歳。
バッカス杯で初タイトル。
九冠
52勝17敗。
1990
(平成2年)
最高位戦で李昌鎬に敗れる。
51勝14敗1無勝負
1991
(平成3年)
53勝27敗
1992
(平成4年)
47勝20敗
1993
(平成5年)
54勝32敗
富士通杯準優勝
40歳。
1994
(平成6年)
70勝32敗
東洋証券杯、依田紀基を破り優勝
富士通杯優勝
1995
(平成7年)
74勝33敗
1996
(平成8年)
71勝39敗
1997
(平成9年)
64勝33敗
東洋証券杯、小林覚を破り優勝
1998
(平成10年)
34勝26敗
1999
(平成11年)
43勝13敗
第1回春欄杯で李昌鎬を2−1で下して優勝
2000
(平成12年)
30勝25敗
テレビ囲碁アジア選手権優勝
2001
(平成13年)
51勝17敗
テレビ囲碁アジア選手権連覇
富士通杯優勝
三星杯優勝

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