名人、上手、段位
名人という言葉は、織田信長が第一世本因坊算砂の至芸を嘆賞して「汝は囲碁の名人である」
といったのが起源である。
上手は、国史続日本後紀に「承和六年(西暦八三九年)仁明天皇紫宸殿に御し、伴宿弥雄堅魚と
伴宿弥須貿雄を召し御床下にて囲碁せしむ、並当時の上手なり」とあるのが起源らしい。
これが天覧碁の始めで、後世徳川幕府御城募の濫觴である。
従来九段を名人といったが一昨年(昭和二十四年)日本棋院で囲碁ルールを作った時、九段と
名人を別にして九段の上に名人位を作ったから、現在、藤沢、呉、橋本、坂田、私九段は名人で
はない。
(編集室:5人の九段の内3人が瀬越門であることに注目)
上手は七段の別名で、昔は免状の基準となっていた。例えば、三段なら上手に対して二子の手
合を許す、といった具合にすべて上手を基準としたのである。
段位は囲碁史坐隠談叢よれば、第四世本因坊道策(元禄)の時代に「従来曽って設けられざ
りし棋士の階級を明らかにせんがために段位を設けて秩序的刷新を施す」とあるから、それまで
は名人とか上手とか先の手合とかいって碁格を定めていたのである。私見によれば、碁の段位が
制定せられてから、将棋や剣道や柔道の段位もこれに倣ってできたのであろうと思う。
ただし、道策の制定した段位の目的は専門家の技倆の標準を定めるために作ったものである。
これをそのまま近代の一般の同好者にも発行して来たのである。天保時代は徳川幕府中で碁の
最も盛んな時であったが、当時の囲碁人名禄によると有段者は四家の家元を合せて大凡五百名で
あった。
現在日本の有段者はどの位あるかというに一万二千余(昭和二十五年未)である。その内初段
が三分の二を占めている。天保時代とくらべると非常な増加である。一万二千といえば大層イン
フレに老える人もあろうが、全国には村が一万ぐらいあるとのことであるから、一村に一人の有
段者がある比率になるが、実際は有段者が一人もいない村が多く、有段者は多く都会に集中して
いる状態である。現在数百万の囲碁同好者からいえば微々たるものである。
試みに他の諸芸と比較して見ると、武徳会の有段者は四十万あり、医学博士は四万を超え、こ
れと比較すると碁の方はまだ少い方である。諸芸の名取り或は茶道や華道や琴曲の許物を取る
には二三年習学すれば許してもらえるものらしいが、碁の初段はいかに器用な人でも二三年では
達し得られない。
現在は私に六子で打てる人を初段に推薦しているが、さらにレベルを下げて私の持論のように
名人に九子(盤面には九つの星がある、その星に置く)というのがよいのではあるまいか。そう
すれば勉強すれば皆初段になれる希望が持てる。外国に普及させるためにも一層この感を深くす
るのである。(昭和二十六年)
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