巧妙な助言

   他人の対局中の碁を助言することは慎むべきことであると、私共は常に後進を戒めておりま す。ところが家元の本因坊が弟子に助言をして、その碁を勝たせたという話しを一ついたしまし よう。

 昔、徳川幕府時代、本因坊の名は忘れましたが、その高弟がさるヒイキの大名から所望され他 家の家元と手合いをすることになり、当日本因坊も招待されて観戦いたしました。ところがその 碁はどういうものか弟子の出来が悪く、夕刻前になりますと大石を攻められて凌ぎの妙手がな ければ投げるほかなく、弟子の苦悶の状見るに忍びぬものがありました。ところが本因坊が見る と凌ぎの妙手があって、それを発見すれば形勢は逆転して黒有利の碁となるのですが、弟子には それが見付かりそうにもありません。

 本因坊は急に思い出したように殿様に向って、「実はさる お方と夕刻会見のお約束をしていることを失念していましたことを今急に思い出しましたが、こ の碁はまだなかなか済みそうもありませんから、ちょっと中座してその方に会見して後刻またま いります。」と殿様の止めるのも聞かずお暇をして帰りました。

 さて弟子は心中思えらく、私は百計尽きて投げの一手とばかり思っているのに、師匠はまだな かなか済みそうもないと仰言るからには凌ぎの妙手があるに相違ない。と勇気を奮い起こして沈 思黙考いたしました。誰れでもここには手があるぞと暗示を与えられると、難かしい手でも発見 できるものですが、弟子も師匠の一言によって凌ぎの妙手を発見して難局を打開し、その碁を勝 局に導いたのであります。

 本因坊が殿様に話した言葉はたしかに弟子に対する助言に相違ありませんが、さて然らばこれ をどう坂扱ったらよいでしようか。

 私共は専門棋士の手合を観戦する時は対局者の心境を乱さぬように細心の注意を払います。呉 藤沢十番碁や本因坊継承手合に一般同好者の参観を遠慮して頂くのも対局者の心境の平静を保た すためであります。若し対局者の一方の形勢が悪い時に先輩の棋士が軽卒に席を去ると、勝負が きまったから立ったのであろうと考える場合もあります。このように手合を参観することは難か しいものであります。  

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