味の良い手を打て

   私共仲間で碁が済んで局後の感想を述べるときとか、碁の調べをするときとかに、それは味の 良い手だ、それは味の悪い手だとか、その手は現在得でもあと味を残すから打てないとか、味と いう言葉を盛んに使用する。

 この碁の手を説明する場合の「味」という言葉はアマチユアにはな かなか理解しにくいものらしい。初学の方々が聞くと、あたかも禅問答をしているように聞こえ るでしようが、我々仲間では味という言葉ですべて意味が通ずるのである。
 しからば、味とはどういうことを意味するかと聞かれると、これを具体的に説明することは難 かしいが、それでも一応の説明を試みるとしよう。

 味の悪い手だといえば、現在打つときには非常に得をしたように見えても、後になってヨリが 戻って手段が生じてくるといったような手を指していい、それは味の良い手だといえば、現在打 つときにはさほど得である手とも思えないが、打ち進んでゆくうちにその手が働いてきて自然に 地がついてくるような手をいうのである。碁の用語で、厚い手とか、薄い手とかいうのも、この 味でいえば、厚い手は味の良い手、薄い手は味の悪い手ともいえるであろう。

 この味という言葉が碁で解るようになればアマチユアでも既に高処に達している人といえるで あろう。

 この碁における味という言葉は、これを処世の上にあてはめて見ると共通しているように思わ れる。ごく卑近な譬えであるかも知れぬが、ここに大きな儲け仕事があって、仲間を排して一人 で独占すればできるような場合、これを一人でやることは現在の利益は大きくても、あとで皆か らうとんじられる場合が生じないとも限らぬ、つまり後味が悪く、碁でいえば、現在は得でも後 に薄味を生じて敵からその弱点を衝かれて形勢を失うような場合が生じてくることをいい、また、 これと反対に、大きな儲け仕事を一人で独占しようと思えばできるけれども、これを一人で独占 せずいわゆる共存共栄で仲間にもその仕事を分与して少しの儲けで我慢するというような行為 は、碁でいえば、味の良い手を打つことで、いつかはその徳が酬いられるといったようなことで 、厚い手で、打ち進んでゆくうちに漸次に形勢を有利に導くことができることになるものである。

 また、人に接したときなどなんとなく味わいのある人がいる、これは理屈でも何んでもない、 ただ無意識にそう感じさせる人がいる、こういう感じを起させる人は人生において余程修養を積 んだ人であるか、または世の中の辛酸をつぶさになめて人間ができている人かで、自然にその人 から発散する香気であろう。

 私は常々碁において味の良い手を打って勝ちたい、味の悪い手はなるべく打たぬようにした い、また、処生上にも味の良い手を打って行きたい、人としても味わいのある人になりたいと思 うけれども、碁の方は時に味の良い手は打つことができても、処生の上では味の良い手、または 味わいのある人にはなかなかなれそうもない。

手談の目次へ戻る